特集

「高橋ヒデキ × 魚住誠一」


 

■独自スタイルの確立 

:高橋ヒデキさんといえば今から15年ぐらい前ですかね、もちろん面識はなかったですが当時ボクがポジを出しにいっていたコダックシグマに「アシスタント募集 – 高橋ヒデキ」と書いてある張り紙をよく見てましたよ(笑)ヒデキさんはどのように今のスタイルを確立しましたか?
:自分の師匠が女性ファッション誌をやっていて、そこでアシスタントをしていたのでそのご縁でティーン誌をやらせていただいて。自分としてはもう少し大人の女性誌をやりたいと思っていたのであれこれ売り込みにいったらファッションじゃなくてビィーティの仕事が来ちゃいまして。ファッションからビューティへ仕事がシフトしていったという経緯ですね。当時はファッションを撮れる人はいたけどビューティをしっかり撮れる人は限られていてあまりいなかったんですね。
:ヒデキさんもかなりデジタル移行は早かったほうですよね。
:もう今年でたぶん11,12年目とかですかね。
:同じ頃ですね。ボクも当時先輩がボクの撮ってるカラーネガのプリントを全部見て「魚住クンのやってるコトは全部デジタルでできるよ」って言われて。アナログのシステムがすべて整っているのにそこからまた初期投資するのは抵抗ありましたけど。
:当時はフィルムを現像後それをスキャンして、デジタルデータに変えるっていうのが主流だったんですよね。Fextightっていうスキャナーが250万ぐらいしたんですけど、だったらデジカメに投資しようと思ってコダックのデジタルバックを買ったんです。
:その頃誰か教えてくれる人はいましたか?
:まさか(笑)誰もいなかったので自分で勉強しました。海外雑誌なんかも翻訳とかして(笑)
:ボクらあの頃スッタモンダしてた時期ですね。
:フィルムとデジタルが混在してた時期は、現像所に行って現像待ちをしながら自宅でデジタル処理する、なんてことしてたら本当に寝る暇なくなっちゃって(笑)。そこである日フィルムの仕事は全部断ろうと思って。
:思いきりましたね。
:いやいや、そしたらものの見事に仕事がなくなりました(笑)ホント月に1本ぐらいしか仕事がなくて途方にくれた時期でしたね。すごい初期投資もしちゃったしやばいな、どうしようって。でもそれこそ月に1本しかないということは月に29日は勉強できるわけで有効活用しました(笑)
:逆転の発想、今思うとそれがよかったんですね。
:あの1年はホント勉強できた1年間でしたね。それこそ「プロファイルって何?」ってところからですよ。ビューティなので再現性が重要なのに撮ったら顔色が悪くてなんでなんだろうって。
:今こそ教科書なんかがあるからいいですけどね。
:今みたいに手軽に情報交換ができない手探りの頃でしたから全部あれこれと。それこそたくさん失敗もしましたし深いところまで掘り下げるのが必然だったんです。でもそれがあったら今では自分で解決できたり発見できたり楽しみながらやってますよ。
:ボクはポートレートじゃないジャンルから学びましたね、報道とか音楽誌とか。
:ビューティでも誰もいなかったですね。それこそフィルムをスキャンしてデジタルデータにするぐらいだったら最初からデジタルで撮ればいいわけですが、みんな知識がない分こっちがしっかりわかってないとダメでしたからね。

 

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