■カメラマンになるキッカケ
魚:僕の場合、20歳代の頃バンド活動をしていて、バンドメンバーの中で僕だけタバコを吸わなかったのでそのメンバーと一緒にいれない時間が暇で(笑)、一眼レフを持ってふらりと街に出たりしていた。元々高校1 年の時に写真部に入った事があったので、なんとなく原理はちょっとだけわかっていたんだけど、まぁ記録程度で。
取:そこまでは一般の方とさほど変わらないですよね(笑)
魚:実は15 歳~25 歳まで僕一人の女性がすごい好きだったんですね、5 回つきあって6 回別れたんですけど(笑) 僕はこの娘と一緒になるんだ、ぐらいのテンションだったんですけど、 相手がその気がなくて、そう感じた時に、自分のものにならないなら思い出だけじゃなくて 写真に残そうと。彼女を撮ろうと。そういえば一眼レフあるじゃんって。自分の彼女で、知識と経験はお金と時間を使ってそこらへんを学んだんですよね。 上:ということは、カメラというハードよりも「彼女という存在」が入り口なんですね。
魚:自分の愛情が彼女に届いても、彼女が返してくれないから、じゃあ変な話、僕がこういうプロ級の写真が撮れたら振り向いてくれるんじゃないかと希望的観測に陥ったのかも。
上:手段としてたまたまカメラを選んだという感じで、そのバンドでもよかったのかも。
魚:歌でもよかったんだけど、「あなたたちのバンドはさっぱりわからない」って言われて(笑)
取:上野さんは?
上:オヤジがカメラ・写真好きで、僕が小学3,4 年の頃に土門拳やロバートキャパの写真集を見せられて、「これ写真見てどう思う?どういうことだと思う?」って言われて(笑) どう思うってその頃はそこに写ってる描写しか答えられなくて。だけどオヤジはその写真の解釈や報道、物語ることをなんかを「写真の見方っていうのはな、」って語ってくれてたんだよね。そうして少しずつ写真に興味持っていって。それで小学6 年の時に、当時オヤジが会社の写真 部に入っていて、撮影会があるからお前も来いって言われて初めてそこでモデルさんを撮っ たの。で、風呂場を改造した暗室でプリントもして。暗室で絵が出て来て、「おー!出て来たよ」みたいな。どちらかというと、報道の素晴らしさと暗室の面白さから入っていったかな。 そうこうしてるうちに、「月刊カメラマン」が創刊されて、特集に「加納典明:俺は俺に復讐する」ってタイトルで(笑)、撮影されてる加納さんの後ろ姿が写ってて、それ見て「かっこいい、絶対モテる、将来カメラマンになろう」って(笑)
取:じゃあその頃から女性を撮ろうと? 上:女性を撮るってことはまるでなくて、カメラマンになるってことだけを意識してた。 女性を撮ろうと思ったのはだいぶあとかな。小学校の卒業アルバムにはもうカメラ持ってて 将来の夢はカメラマンになってるんだよね。
魚:僕は28 歳の時に初めてカメラマンになれたらいいなって思った年だから、そんなまったくカメラマンになろうなんて考えたこともなかった。
■「カメラマン」という夢の実現手段
取:お互いのいきさつがあって、この場にいる二人が対談するって面白いですよね。 さてここからが本題なんですが、いざカメラマンになろうと思った「夢」から、当時どうやって「カメラマンでゴハンを食べていく」実現のプランを立てていったのでしょうか。
魚:それまでは、バンドやっていた関係上、アメリカにもカメラマンの友人が何人かいて、当時 バンドもうまくいかなくなってきて、その時は自分探しの旅も兼ねてよく向こうに遊びにい ってたんですね。スタジオでモデルの撮影とかよくやってて、「こいつらどうやってライト組んでるんだろう」とか「どうやってモデルとコミュニケーション取ってるんだろう」とか、 「ヘアメイクとかスタイリストの役割は」とか、ひたすら吸収してやろうと思って。それか ら帰国して貸しスタジオに入るんです。そこのボスたちを横目で見ながら空いた時間を使っ て、片っ端から友人のモデルを呼んで作撮りバンバンやってたんですね。お金なかったし、 モデルの子たちも「撮ってくれたらゴハンおごるよ」とか言われて喜んで撮ってたんですね。 そういう意味では当時モデルには不自由してないというか恵まれていたというか。そうやっ て撮ったモデルのコンポジットやオーディション用のブックを大手のモデル事務所が見て、 「これ誰に撮ってもらったの?」って。それで会ってくれたのが今の某事務所の社長さんで。 社長さんの計らいでその事務所の翌年の新人モデルを撮らせてもらえて。また偶然にもそこの新人モデルが黄金期でみんなブレイクしちゃって(笑) それから人生が180 度変わって、 もうほぼ365 日寝る暇もなく撮影と現像の繰り返しで。でもいきなり自分がこんなになって、「オレほんと大丈夫?」って不安になって。30 歳ぐらいの時かな。 上:僕の場合はちょっと早いですけど、高校中退してバイクのレーサーになりたくてレースやれるところに行ったんだけど半年で挫折して、17 歳の夏休みに家でゴロゴロして、でも仕事しなきゃいけないからアルバイトニュースみたいなの見てたら、「○○貸しスタジオ」ってとこ ろに折り目が入っていて、母親が「あんた昔写真やってたんだからこういうところ行ってみ たらどうなの?」って。その一言(笑)そこは東京都内で17 歳から募集してる唯一のスタジオ だったからすぐ電話して。当時は、魚住さんの11 年ぐらい前だから、かなりスパルタで上下関係の厳しい、ほんと最初の一ヶ月はひたすら「挨拶を屋上で叫ぶ」だけ(笑)先輩たちはみんな写真学校とか出てだいたい23 とか24 歳ぐらいで、僕は一番下っ端。でもやっぱりスタジオってキツくてみんな保たないから辞めていっちゃって、17 歳であっという間にチー フになる(笑)「オレはもうスーパースタジオマンだ」的な(爆笑)でもホント激務だったし給与も安かったんで、「カメラマンにならないとダメだ」と思って。やっぱり先生に付こうと思って。 22 歳の時ずっと誘い続けてくれてた先生の元に付いて、出版社とかのパイプも少し出来て。 23 歳で独立して小さな仕事が多かったけど、集合場所に車停めて寝たりする忙しい日々にな った。